神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

2010年5月2日日曜日

エルサレム御母様

聖書の教えを大事にする神様の教会では再臨キリスト安商洪様だけではなく、エルサレム母を神様として迎えています。 聖書は神様を複数の神様だと言い、その形象を男と女だと知らせたから、神様は男性の神様と女性の神様として存在します。皆さん「なぜ神様を父と呼ばねばならないのか」について考えたことがありますか。 母がいなくて父が存在しますか。また、万物の理の中に神様の神性をのこされた (ロ-マ 1:20) とありますが母がいなくて父一人が子で生む生物がいますか。私たちはこの問題について詳しく調べなければなりません。 神様の二つの形象聖書を通じて私たちの霊のお母さんの存在について調べましょう。 創 1:26-27 『神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。 ……神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。』 上のお話で私たちは神様が二つの形象、すなわち男性の形象と女性の形象を持っていらっしゃるという事実が分かります。今まで私たちは男性的形象としての神様を父なる神様と呼んで来ました。それなら女性的形象としての神様を何と呼ばなければなりませんか。当然母と呼ばなければなりません。それで神様は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言いました。 「私たち」は複数概念でヘブライ語では 「エロヒム」と言います。 エロヒムと言うのは神様たちという意味で複数概念の神様、すなわち父なる神様と母なる神様を示します。ある人々は複数概念としての 「私たち」と称えられるその神様は聖父、聖子、聖霊神様を示すと言います。もしこれらの言葉が正しければ、 この世の中には三つの種類の形象を持った人、すなわち聖父神様の形象に似ている人、聖子神様の形象に似ている人、聖霊神様の形象に似ている人が登場しなければなりません。しかしこの地にはただ二つの種類の形象を持った人、すなわち男と女がいるだけです。だから創世記 1章 26節に登場する複数概念の神様は男性としての神様と女性としての神様、すなわち父なる神様と母なる神様を意味します。 小羊の婚姻約束黙 19:7  『わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。』 上の御言葉で「小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた」と言ったが、ここで小羊はキリスト、すなわち再臨キリスト安商洪様を示します。なぜなら、この黙示録はキリストが昇天された後に記録された本として終わりに起こる事を記録した内容で、また1、900年前キリスト初臨の時には小羊の花嫁が予備されていなかったからです。このように花嫁すなわち小羊の花嫁は最後の時に登場するようになっています。 黙示録 21章ではこの花嫁すなわち小羊の妻である花嫁がエルサレムと表現されています。 黙21:9-10 『…持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。 「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」 …聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。』 そして使徒パウロは天から下る聖なる都エルサレムを私たちのお母さんと証ししています。 ガラ 4:26  『他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。』 天の御母様を迎えなくては永遠の命を得ることができません。言い換えれば、神様が私たちに約束した永遠の命は天の御母様を通じて与えられます。終わりの時代を住んでいる私たちに一番必要なことは再臨安商洪様が立てられたエルサレム母です。聖書が証ししている聖霊安商洪様と花嫁なるエルサレム母を信じて救いに至る皆さんになってください。

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