神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

2010年6月19日土曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母 過越祭の由来


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私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます


過越祭 神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
キリスト教信者に「救いを受けましたか。」と問えば「はい!」と答えるが「過越祭を守っていますか。」と問えば頭を傾げる人々が多いです。しかし事実、過越祭が分からなくては救いを受けたとは言えません。

イエス • キリストが手本として下さった過越祭を再び探して下さった再臨のキリスト 安商洪様を迎えた神様の教会では全世界で唯一、過越祭(聖暦1月14日の夕方、レビ23:4)を守り行っています。

過越祭は神様が人類に許された掟の中で、一番重要な掟の中の一つとされているが、その理由はすべての人類の罪の赦しと永遠の命の祝福をこの過越祭で約束されたからです。また、過越祭は災いを兔れる日でもあります。旧約時代にも各時代に従って過越祭を守った者と守らな者の滅びの歴史は確実に差がありました。

言い換えれば、過越祭を守らなければ罪の赦しも永遠の命の祝福も受けないばかりでなく、終わりの時神様が予定された災いから救われないということです。聖書の預言を信じる神様の教会では 安商洪様が教えて下さった初代教会の真理、過越祭を大切に守っています。


過越祭の由来
神様は430年間エジプトで奴隷生活しながら呻いたイスラエルの民を解放させるためにモ-セを選ばれて予定された摂理を広げました。

モ-セが80才の時、神様に召されてファラオの前に行ってイスラエルの民を解放するように要請したがエジプトのファラオは神様に対敵してもっとヘブライ人に労役を課します。神様は激しく憤ってエジプトに災いを下すことにされ第一は全ての水を血に変わるようにした災いで、継けて蛙の災い、あぶの災い…闇の災いに至るまで九つの災いを下しました。しかしファラオの心はかたくなになり神様の民を放すことを断ったのですが、これは神様がエジプトを審判なさろうとファラオの心をかたくなにしたからでした。

神様は十番目の災いでエジプトのすべての初子と家畜の初子滅ぼされることに決心され1月 14日(聖曆)をその施行日と決めました。しかしイスラエルの初子がエジプトの初子と一緒に死ぬことを願わなかったから、イスラエルの民は家の入り口の二本の柱と鴨居に一歳の小羊の血を塗るように命じられました。

出 12:1~14『その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない…それを食べるときは、腰 を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である…あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。』 

小羊の血は神様の民という印だから災いを下す天使がそれを見てその家は過ぎ越しました。それでその日を過越祭(逾越節 、Passover : 災いが過ぎ越す) と呼ぶようになりました。

その晩イスラエルの民はすべての旅行準備を終えて過越祭の小羊の肉を焼いて食べてその血を塗って待っていました。あちこちで泣き叫ぶ声が聞こえました。エジプトのすべての長子が死に、ファラオの長子も死にました。

ファラオは夜中にモ-セとアロンを呼び、エジプトから去るのを願いました。エジプト人もその間あらゆる災いを経験したので自分たちが持っていた銀、金の装飾品や衣類までもイスラエルの民にやって早く去ることを願いました。

過越祭は神様がイスラエルの民をエジプトの捕虜生活から解放させた日です。この事が鏡になって新約時代になっても過越祭は災いから救われる唯一の祭りであるばかりでなく、罪から解放させた日になるのです。

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