神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

2010年6月30日水曜日

ヨハネの黙示録666の正体(神樣の敎会世界福音宣教協会 安商洪樣 母なる神樣 天の母 )


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神樣の敎会世界福音宣教協会

天の母 の愛を伝える神様の教会 天の父安商洪樣の愛を伝える神様の教会

私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます。

2010年6月29日火曜日

神樣の敎会世界福音宣教協会 安商洪樣 母なる神樣 天の母 魂

私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

天の母 の愛を伝える神樣の敎会世界福音宣教協会
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私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
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神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

神樣の敎会世界福音宣教協会 安商洪樣 母なる神樣 天の母 過越祭


天の母 の愛を伝える神樣の敎会世界福音宣教協会
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神樣の敎会世界福音宣教協会 安商洪樣 母なる神樣 天の母

2010年6月28日月曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

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私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます。

神樣の敎会世界福音宣教協会 安商洪樣 母なる神樣 天の母 エルサレム御母樣
神様は私たちに大事な約束をくださいました。
それで聖書は私たちを約束のお子さんと説明します。
ガラ4:28兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように約束の子です。
神様が私たちにどんな約束をくださったのか
一ヨハ 2:25 御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。
永遠の命を約束してくださいました。
永遠の命をどんな経路をどんな経路を通じてくださることおこりましょうか
調べましょう。
黙 4:11 御心によって万物は存在し、また創造されたからです。
万物が神様の意味の中創造になった。
万物の中にすべての生命体はお母さんを通じて生命を得ます。
父 + 母 ==> 生命
それなら魂の永遠の命は誰がくださいましょうか。(魂のお母さん)母なる神様
果してそうてだろうか。 調べましょう。
創 1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。
創 1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
神様の形象に付いて人を創造しました。
男は=======>父なる神様形象に付いて創造しました。
女は=======>母なる神様形象に付いて創造しました。
そしてヨハネ啓示録にも
黙22:17“霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
聖霊は男性形象の神様父と神様を意味します。
それでは花嫁は誰でありましょうか。
黙21:9-10 小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。・・・ 聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。
小羊の妻である花嫁ー>エルサレム 
花嫁すぐエルサレムはたれておこりましょうか。
ガラ4:26 天のエルサレムは、いわば自由の身の女であって、これはわたしたちの母です。
花嫁 ====>エルサレム====> わたしたちの母
最後の時代に私たちに永遠の命をくださる方はわたしたちの母です(天の母)。

2010年6月20日日曜日

過越祭で永遠の命を約束 神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

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私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母




過越祭で永遠の命を約束 神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
すべての人類が切望している永遠の命は誰でも与えることができるものではありません。出エジプトの時イスラエルの民を救われたように、私たちに命と救いを下さる方はただ一人神様の外にはいません。
一ヨハ5:20 『わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。 わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス•キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。』
それでは神様は私たちにどんな方法で命を許し賜わるのでしょうか。その方法は出エジプトの時イスラエルの民を救われた過越祭の小羊の血で表象されたキリストの血(一コリ5:7)で救いを許されます。
ヨハ6:53-55 『イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。』
イエス•キリストは過越祭に食べるパンをイエス•キリストの肉とされ、過越祭に飲むぶどう酒をイエス•キリストの血と約束されました。
タ 26:17∼28  『弟子たちは、イエスに 命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。…イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに 渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」』 
私たちが過越祭を通してイエス•キリストの肉と血に与るのは、他ではなく命であられるイエス•キリストの御言葉が「食べて飲めば永遠の命を得る」と約束されたからです。
イエス•キリストは「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(ヨハ 6:53)と言われたので過越祭を守り行わなかったら、どうして約束された永遠の命を得ることができますか。



そしてイエス•キリストは過越祭を示して新しい契約だと言われました。
ルカ22:7~ 20 『過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。…時刻になったので、イエス は食事の席に着かれたが、使徒たちも一緖だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと 共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。…それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして 言われた。「この杯は、あなたがたのために 流される、わたしの血による新しい契約である。』 
イエス • キリストは新しい契約の過越祭により永遠の命を約束されました。
過越祭によって罪から解放
罪によって失われた天国の祝福を再び賜る為には必ず「罪の赦し」という祝福が隋伴しなければなりません。過越祭は罪の赦しを得て天国に帰ることができる神様の真理です。
ルカ4:17~21 『預言者イザヤの巻物が渡され…主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ…そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現したと話し始められた。』
ある人は、一体誰に 捕虜になっているのかと言います。イエス•キリストは貴い御自分の血、過越の小羊の血で罪悪から、サタンの権勢から御自分の民を導いて自由を下さいました。
ロ-マ 6:22  『あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。』 
出エジプト当時に一歳の過越祭の小羊の血によってイスラエルの民がエジプトから解放されて荒れ野生活に入って行った事件は、新約時代に入って過越祭の小羊であるイエス•キリストの肉と血を食べて飲む人々が罪悪の沼から解放されて信仰の荒れ野生活に入って行くことを教えています。(一コリ10: 1~12 参照)

2010年6月19日土曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母 過越祭の由来


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私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます


過越祭 神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
キリスト教信者に「救いを受けましたか。」と問えば「はい!」と答えるが「過越祭を守っていますか。」と問えば頭を傾げる人々が多いです。しかし事実、過越祭が分からなくては救いを受けたとは言えません。

イエス • キリストが手本として下さった過越祭を再び探して下さった再臨のキリスト 安商洪様を迎えた神様の教会では全世界で唯一、過越祭(聖暦1月14日の夕方、レビ23:4)を守り行っています。

過越祭は神様が人類に許された掟の中で、一番重要な掟の中の一つとされているが、その理由はすべての人類の罪の赦しと永遠の命の祝福をこの過越祭で約束されたからです。また、過越祭は災いを兔れる日でもあります。旧約時代にも各時代に従って過越祭を守った者と守らな者の滅びの歴史は確実に差がありました。

言い換えれば、過越祭を守らなければ罪の赦しも永遠の命の祝福も受けないばかりでなく、終わりの時神様が予定された災いから救われないということです。聖書の預言を信じる神様の教会では 安商洪様が教えて下さった初代教会の真理、過越祭を大切に守っています。


過越祭の由来
神様は430年間エジプトで奴隷生活しながら呻いたイスラエルの民を解放させるためにモ-セを選ばれて予定された摂理を広げました。

モ-セが80才の時、神様に召されてファラオの前に行ってイスラエルの民を解放するように要請したがエジプトのファラオは神様に対敵してもっとヘブライ人に労役を課します。神様は激しく憤ってエジプトに災いを下すことにされ第一は全ての水を血に変わるようにした災いで、継けて蛙の災い、あぶの災い…闇の災いに至るまで九つの災いを下しました。しかしファラオの心はかたくなになり神様の民を放すことを断ったのですが、これは神様がエジプトを審判なさろうとファラオの心をかたくなにしたからでした。

神様は十番目の災いでエジプトのすべての初子と家畜の初子滅ぼされることに決心され1月 14日(聖曆)をその施行日と決めました。しかしイスラエルの初子がエジプトの初子と一緒に死ぬことを願わなかったから、イスラエルの民は家の入り口の二本の柱と鴨居に一歳の小羊の血を塗るように命じられました。

出 12:1~14『その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない…それを食べるときは、腰 を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である…あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。』 

小羊の血は神様の民という印だから災いを下す天使がそれを見てその家は過ぎ越しました。それでその日を過越祭(逾越節 、Passover : 災いが過ぎ越す) と呼ぶようになりました。

その晩イスラエルの民はすべての旅行準備を終えて過越祭の小羊の肉を焼いて食べてその血を塗って待っていました。あちこちで泣き叫ぶ声が聞こえました。エジプトのすべての長子が死に、ファラオの長子も死にました。

ファラオは夜中にモ-セとアロンを呼び、エジプトから去るのを願いました。エジプト人もその間あらゆる災いを経験したので自分たちが持っていた銀、金の装飾品や衣類までもイスラエルの民にやって早く去ることを願いました。

過越祭は神様がイスラエルの民をエジプトの捕虜生活から解放させた日です。この事が鏡になって新約時代になっても過越祭は災いから救われる唯一の祭りであるばかりでなく、罪から解放させた日になるのです。

2010年6月18日金曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

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神様の教会世界福音宣教協会の過越祭迎え環境浄化運動
私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
生命の過越祭を守る神様の教会
神様の教会世界福音宣教協会メンフィス(美)教会所属聖徒たちは去る3月 21日 '2010年過越祭え環境浄化運動をしたこの日運動は教会周辺環境を浄化することで過越祭を心で準備して
キリストの愛を趣旨中に全世界神様の教会があるあちこちで一斉に進行された.

2010年6月17日木曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母 十字架崇拝は偶像崇拝

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十字架崇拝は偶像崇拝 神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
今日多い教会で十字架を崇拜しています.
その教会たちは十字架は教会の象徴だと主張しています。
果して十字架は教会の象徴でしょうか? ではなければ偶像でしょうか
神様は十字架は偶像だと聖書を通じて知らせてくださいました。
十戒命を通じて調べます。
先に十戒命の中で二番目戒名をよく見ます。

出エ20:4-5  あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。

偶像崇拝に対する神様の教えはどうでしょうか。
神様はいかなるものの形であれ、造ってはならないと仰せられました。
十字架は形象ですか? 形象ではないですか。 (形象です)
だから十字架は偶像です。

レビ26:1 あなたたちは偶像を造ってはならない。彫像、石柱、あるいは石像を国内に建てて、 それを拝んではならない。わたしはあなたたちの神、主だからである。
     
偶像===> 彫像 + 石柱 + 石像 ===>このすべての形象が偶像です。
十字架 ===> 偶像
エレ10:2-5主はこう言われる。異国の民の道に倣うな。天に現れるしるしを恐れるな。それらを恐れるのは 異国の民のすることだ。もろもろの民が恐れるものは空しいもの/森から切り出された木片/木工がのみを振るって造ったもの。金銀で飾られ/留め金をもって固定され、身動きもしない。きゅうり 畑のかかしのようで、口も 利けず/歩けないので、運ばれて 行く。そのようなものを恐れるな。彼らは災いをくだすことも/幸いをもたらすこともできない。

人が造ったものの形に仕えるのは偶像崇拝なのです。
偶像崇拝は私たちに決して災いや幸いをもたらす事はできません。
十字架が救いを与えることができますか。
偶像を崇拜した者の結果はどうなるんでしょうか。

申27:15 「職人の手の業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、ひそかに安置する者は呪われる。」それに答えて、民は皆、「ア―メン」と言わねばならない。
その結果は呪いを受けると言いました。
十字架は聖書が証ししている偶像です。
十字架)ーー> (人が造った形象)ーー> (偶像)ーー> (呪い)    
歴史的証拠
「クリスチャンが十字架をキリスト教の象徴として公式的に使用するようになったのはローマコンスタンティヌスの時代からであった。初代クリスチャンは十字架の言葉を聞いただけでも身の毛がよだつ程の物として十字架を神秘的な物として美化する危険性は全くなかった。」( Baker’s Dictionary of Theology、p。 152 )
最初で礼拜党案や祈祷室などに十字架が止められたことはA.D431.
A.D.586年に礼拜堂てっぺんに十字架を止めた歴史を見た時十字架崇拝は教会が世俗化していく中で 生じるようになりました.

2010年6月16日水曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母 神樣の敎会 紹介

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私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

神樣の敎会 紹介 神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
神樣の敎会世界福音宣敎協会は,1948年ダビデの王位で來られた安商洪樣が創始去れ,今まで初代敎会の信仰を回復するために終わりの宗敎改革運動を推進市ています。
神樣中心の神本主義と徹底的な聖書中心主義は多くの人々に歓迎され,去る半世紀の間
400余教会と150余カ国の海外宣教の御業をなして驚くべき成長を繰り返しています。
また隣人を自分のように愛しなさい言いわれたキリストの敎えによってキリストの愛を伝えて,去る2003年と2004年に大統領賞と勳章を受章しました。
神様の教会は社会の光と塩になって全世界100万聖徒が一緒に最後の宗教改革を度ずっと展開して行きます。
天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会世界福音宣敎協会

2010年6月11日金曜日




罪の赦しの秘密と安商洪樣
私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

たちが住んでいるこの地上の世界はあまりにも多い苦痛と苦しさがあります。
このような結果の原因は何でしょうか。
この問題の答を得るためには先に魂の問題を研究しなければなりません。

創2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入
れられました。

人は土の存在である肉体と魂で構成されています。
それでは人が死んだらどうなるんでしょうか。

神様が人が死んだらすべてのものが元々の状態で帰ると教えることを与えています。
コヘ12:7 塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰ります。
ここで帰るという意味は元々あった場所に帰るという意味です。
私たち肉体は土で作われたから死んだら土に帰って魂は神様が(母なる神樣,安商洪様)くださったから死んだらまた神様に帰ります。
私たちの魂は本來神様と一緒にありました.
私たちはこの苦痛と苦難がもつれたこの地上へ来る前に天に神様とあった魂すなわち天使たちでありました。
箴 8:22-26 主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた/深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが/わたしは生み出されていた。大地も野も、大地の最初の塵も/まだ造られていなかった。
ヨブ 38:1-4 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。…わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら /理解していることを言ってみよ。

ヨブ 38:21 そのときお前は既に生まれていて/人生の日数も多いと言うのなら/これらのことを知っているはずだ。
ソロモンとヨブ二つとも地上創造以前にとうに魂の存在しました。
これはまさに私たち人類全体の根本を知らせてくれることです。

私たちはこの地上世界の存在で来る前に魂の存在で神様(安商洪様)と一緒に常に光栄中に暮していました。

それではその幸せな天国を後にしてこの地上へ来た理由が何でしょうか。

2010年6月9日水曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母




私たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母 天国家族と地上家族

天国家族と地上家族
地にあることは,天にあるものの写しと影にみします。
その中には家族制度も現れています。

ヘブ8:5 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており。
地上の家族は天国の家族の写しであり影です。

地上の家族はお父さん、お母さん、そして子供で構成されています。

お父さん + お母さん + 子供  = 家族  

天国の家族はどうでしょうか

聖書を通じて調べます。
ヘブ12:9   わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それな

ら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。

肉体のお父さん==> 魂のお父さん,   魂のお父さんは誰でしょうか

マタ6:9 天におられるわたしたちの父よ。

天のお父さんが私たちの魂のお父さんです。

それではここで私たちは誰でありましょうか。

神様を信じるお子さんたちです。(私たちです

そして

地に家族にお子さんたちがいます.

天国の家族はどうでしょうか
マタ12:50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹。
神様のお子さんである私たちがお互いに兄弟姉妹です。

最後に

私たちに生命をくださって

私たちを借しまず愛してくださる方は誰ですか

お母さんです。
この地に生命をくださるお母さんがいます。

天国の家族はどうでしょうか。
ガラ4:26 天のエルサレムは、いわば自由の身の女であって、これは私たちの母です
天国の家族にも霊の母がおられるのか確認してみましょう。

ここで私たちは誰でありましょうか。

神様を信じるお子さんたちです。(私たちです

天 の家族 == 天の父  + 天の母  + 兄弟と姉妹 ( 実体 )
   (父なる神樣) (母なる神樣)

地 の家族 == お父さん + お母さん + 子供   ( 写し 

私たちに永遠の命をくださるお母さん神様信じて天国行きましょう

2010年6月8日火曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母


私のお母さん          
疲れからくる風邪で
全身に
高熱が出て
空咳をする時に

お母さん
代わりをすることができない痛みに
骨の中まで悲しい涙を
胸で流しました

どのようにすると
好転することができるのか
切ない心は
切実な祈祷で上げられて

一晩中そばを守って
子供の小さな呻吟にも
共に苦しがった
私のお母さん

お母さん愛しています

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

地の家族制度は天の家族制度の影 (模型)です

私たちは父なる神樣(安商洪樣)と母なる神樣を信ています。

聖書は事実です。聖書を信じなければなりません。

2010年6月2日水曜日

罪の赦しの秘密と安商洪樣 神樣の敎會


神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母


私たちは父なる神樣(安商洪樣)と母なる神樣を信ています。

罪の赦しの秘密と安商洪樣

たちが住んでいるこの地上の世界はあまりにも多い苦痛と苦しさがあります。


このような結果の原因は何でしょうか。


この問題の答を得るためには先に魂の問題を研究しなければなりません。

創2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入
れられました。

人は土の存在である肉体と魂で構成されています。
それでは人が死んだらどうなるんでしょうか。

神様が人が死んだらすべてのものが元々の状態で帰ると教えることを与えています。

コヘ12:7 塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰ります。

ここで帰るという意味は元々あった場所に帰るという意味です。

私たち肉体は土で作われたから死んだら土に帰って魂は神様がくださったから死んだらまた神様に帰ります。

私たちの魂は本來神様と一緒にありました.

私たちはこの苦痛と苦難がもつれたこの地上へ来る前に天に神様とあった魂すなわち天使たちでありました。

箴 8:22-26 主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた/深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが/わたしは生み出されていた。大地も野も、大地の最初の塵も/まだ造られていなかった。

ヨブ 38:1-4 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。…わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら /理解していることを言ってみよ。


ヨブ 38:21 そのときお前は既に生まれていて/人生の日数も多いと言うのなら/これらのことを知っているはずだ。

ソロモンとヨブ二つとも地上創造以前にとうに魂の存在しました。

これはまさに私たち人類全体の根本を知らせてくれることです。

私たちはこの地上世界の存在で来る前に魂の存在で神様と一緒に常に光栄中に暮していました。

それではその幸せな天国を後にしてこの地上へ来た理由が何でしょうか。

2010年6月1日火曜日

神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母


神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
浸礼


「人は死んだらどうなるのか。人には魂というのが果してあるのだろうか。人は死んだらどこに行くのだろうか」 という考えは今まで多くの人の関心と同時に解くことができない宿題として残っていました。

すべての人間たちは 「私」という存在に対して思って研究したがその誰も答えを与えることができず、「私」を誰が創造したのか悟ることができなかったまま、ただ知りたい欲望だけが先立って哲学を作り出したりもしました。

このように魂について無知だった私たちに、安商洪様が来られて神様の教会を建ててくださり、聖書に明示されたとおり全人類は天で罪を犯してこの地に下った天使だということを知らせて、自分の存在価値と生の目的を故郷である天に残して生きて行かなければならないということを正確に知らせてくださいました。


人間創造過程に現われた魂
創 2: 7『主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた人はこうして生きる者となった。』

生きる者とは「生きている魂」「生きている命」という意味なのに土が命の本質になったのではありません。土で作られた時までにしても「生霊」と言わなかったし、その土の中に神様の生気(The breath of life)が入って行くので生霊になったと言ったから人間に命の本質は肉身ではなく神様が吹き入れた生気すなわち霊(神様)です。人間の肉体は土から始まったがその中にある霊(神様)は神様によって作られ神様から来たものです。ソロモンは「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る(コヘ12:7)と記録しました。


イエス • キリストが知らせてくださった魂
新約時代に入って魂に対する概念はもっと明らかになりました。

マタ 10: 28『体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。』

イエス • キリストが言われたこの御言葉は創世記 2章に現われた人間創造の過程をそのまま見せて下さった内容だと見られます。イエス•キリストは肉身(土)の死と魂の死を区分したからです。この句節で「魂」と翻訳されたギリシア語「プニュ-マ」(英語では Spirit)は「霊」です。

ヨハ 4:24 『神は霊である』

二コリ 33:17 『主とは、“霊゛のことですが』

ヘブ1:14 『天使たちは 皆、奉仕する霊であって、』

神様は肉に属しない霊で、イエス • キリストも肉に属しない霊です。天使たちも肉身に属しない霊です。それで人間の死は肉身の死と魂の死に分けられているのです。人間やサタンは私たちの肉体は殺すことができるが魂を滅ぼすことができる方はただ神様だけです。

使徒パウロがコリント教会に送った手紙の内容の中に次のような記録があります。

一コリ 2:11 『人の內にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。』

私たちがイエス•キリストの教訓を通じて学ばなければならない内容は、私たちの命の本質がこの肉身になく霊にあるという事実です。


使徒パウロの思想と魂
3使徒パウロの思想と使徒たちの思想を学ぼうとする理由は、彼らの思想がイエス•キリストの教訓を通じて定立されイエス•キリストの教えを通じて立てられたからです。使徒たちの思想の中には私たちの肉体が魂の家だと刻印されています。

二コリ 5:1『わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。』

私たちの魂は現在臨時に使う幕屋(肉体)の中に住んでいますが、救いを得て天国へ行けば臨時用ではない、神様が作ってくださった永遠なる家の中で住むようになるでしょう。

二コリ 5:6 『それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり…わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。』

使徒パウロのこの手紙の内容は、主(イエス • キリスト)は霊の世界におられ、私たちは 体 の世界にいるので肉体を着ている間には主と別にいて、パウロと聖徒たちが願うのは早く体を去って主とともにいることだと言いました。

この御言葉の中で肉体を着ているのは誰で、肉体を去る存在は誰ですか。肉体 を去りたいと言った存在はパウロ自身、すなわちパウロの魂でした。これは彼の肉体が命の本質ではなく、肉体の中にいるその霊がパウロ本人だという御言葉です。言い換えると使徒パウロは臨時に住んでいる幕屋 (肉体) 生涯のための生のみを願ったのではなく、その霊が幕屋を脱して神様が賜わる永遠の家に住む時の生涯のために準備する生を暮したのです。

彼がフィリピ教会の信徒たちに送る手紙では次のように記録しています

フィリ1:21~24 『わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです…この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、 この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる 方が、あなたがたのためにもっと必要です。』

先立って引用した「体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます」(二コリ5:6)という御言葉と「私が…去って」(フィリ 1:21∼24)という御言葉は同じ内容です。去るということは、後の内容「肉身にいることが」という部分が説明するように、肉身を去ることを言っています

それでは、肉身にとどまったり肉身で去ったりする存在は誰ですか。パウロ自身、すなわちパウロの魂です。

そしてパウロは自分が肉体を去るより肉身にとどまることが聖徒たちにはもっと有益だと言ったが、これはパウロが肉身を去れば(死ねば) キリストのところに行くから自分には良いことだが、聖徒たちにはパウロが肉身で一緒にいながら神様の真理を教えて正しい道に導くことが、もっと有益になるという御言葉です。

そしてパウロは自分が神様から受けた默示の内容を説明しながら次のように記録しました。

二コリ 12:1-3『わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。』

パウロは自分が默示を見た当時、「体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです」 と二回も繰り返して記録しました。

この御言葉の中現われた内容を見る時パウロは肉体と分けられた魂が別にあるという思想を持っていたのでしょうか。それとも魂が別に存在しないという思想を持っていたのでしょうか。

彼がもし魂が別に存在しないという思想を持っていたら「体のままか、体を 離れてかは 知りません。神がご存じです」という表現ができたのでしょうか。これはパウロ自分が默示を見る時(彼は自分が默示を見た事実を 3人称である「ひとり」、「その」と呼んでいる)自分の霊が身をすり抜けて楽園へ行ったのか、それとも身とともに行ったのか自分は分からなかったという御言葉です。


使徒ペトロの思想と魂
ペトロはイエス • キリストが昇天なさる直前にくださった御言葉を常に憶えていました。

ヨハ21:18~19 『はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところ連れて行かれる」ペトロがどのような死に方で、神の光を現すようになるかを示そうとして、イエス はこう言われたのである。このように話してから、ペトロ に、「わたしに従いなさい」と言われた。』

ペトロが福音の生涯をほとんど仕上げる直前、彼はイエス • キリストが自分にくださった御言葉を思い出しながら自分が去った後聖徒たちを気づかって次のように記録しました。

二ペト 1:13∼14 『わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、 あなたがたにこれらのことを 思い出させて、奮起させるべきだと 考えています。わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。』

ペトロは自分の死を示して「幕屋を脱ぎ去る(口語訳)」と表現し、幕屋を 脱ぎ去ることを示して自分が去ると言っているからペトロが(魂が) 体を去るのではなくて何ですか。ペトロの魂が体の中にいる時はその体がペトロの家だがその魂が去った後には土に帰ってしまうのです。

私たちが使徒たちの思想を知ろうとするのは使徒たちがイエス•キリストからどんな教えを受けたのか。ということを知るためです。今まで見た使徒たちの思想を通じて、彼らはイエス•キリストから私たちの人間の魂が存在するという教えを受けたことが分かります。


私のための生
人間の生の中で「私」という存在は何かと考える時が多いです。ある人々は「人間は生きるために食べる」 または「人間は食べるために生きる」と言います。もちろん二つとも正しい言葉ではありません。

私の主人はこの肉体ではなく、肉体の中に閉じこめられている魂です。私が「肉体」と言う幕屋(Tent) の中に住んでいるという話は、私たちに何かを示唆しています。私たちがキャンプに行くとか野営する時幕屋(テント)で何日間か過ごしませんか。言い替えれば、幕屋での生は、臨時的に過ごす生活です。同じく幕屋に比喩された肉体の中での生は、しばらく住む家に過ぎません。

私たちが表の人である肉体のために生きたら、彼は家のために生きる人でしょう。人は家ではない私自身のために生きるのではないでしょうか。

私たちが信仰生活をする中にもとも、すれば肉身の生にもっとかたよる時があります。もちろん私たちが肉身を着ている以上、肉身の生を否定することはできません。しかししばらくあってから消える幕屋のみのために暮したらどれだけ虚しい行為ですか。

たとえ今は罪によって幕屋の中に住んでいてもキリストの過越祭の功労によって救い、すなわち罪の赦しを受けるようになれば神様が準備しておいた永遠な家が待っています。生の比重をどこに置いて生きて行くか答は明確だと考えられます。

二コリ 4:18 『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。』