神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

2010年7月6日火曜日

魂 神樣の敎会世界福音宣教協会 安商洪樣 母なる神樣 天の母

魂 神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母
神様の教会世界福音協会
神様の教会は 安商洪樣 と天の母 が建ててくださった真理教会です。
安商洪樣が建ててくださった神様の教会は母なる神様を信じます。
天の父安商洪樣と天の母がは私たちの救い主です。

再臨キリスト安商洪樣新しいエルサレム天の母を信じる神様の教会。
天の父安商洪樣と天の母の愛を伝える神様の教会。

ttp://japanese.watv.org/
http://video.yahoo.com/people/8410042
「人は死んだらどうなるのか。人には魂というのが果してあるのだろうか。人は死んだらどこに行くのだろうか」 という考えは今まで多くの人の関心と同時に解くことができない宿題として残っていました。
すべての人間たちは 「私」という存在に対して思って研究したがその誰も答えを与えることができず、「私」を誰が創造したのか悟ることができなかったまま、ただ知りたい欲望だけが先立って哲学を作り出したりもしました。
このように魂について無知だった私たちに、安商洪様が来られて神様の教会を建ててくださり、聖書に明示されたとおり全人類は天で罪を犯してこの地に下った天使だということを知らせて、自分の存在価値と生の目的を故郷である天に残して生きて行かなければならないということを正確に知らせてくださいました。
人間創造過程に現われた魂
創 2: 7『主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた人はこうして生きる者となった。』
生きる者とは「生きている魂」「生きている命」という意味なのに土が命の本質になったのではありません。土で作られた時までにしても「生霊」と言わなかったし、その土の中に神様の生気(The breath of life)が入って行くので生霊になったと言ったから人間に命の本質は肉身ではなく神様が吹き入れた生気すなわち霊(神様)です。人間の肉体は土から始まったがその中にある霊(神様)は神様によって作られ神様から来たものです。ソロモンは「塵は元の大地に帰り、
霊は与え主である神に帰る(コヘ12:7)と記録しました
私のための生
人間の生の中で「私」という存在は何かと考える時が多いです。ある人々は「人間は生きるために食べる」 または「人間は食べるために生きる」と言います。もちろん二つとも正しい言葉ではありません。
私の主人はこの肉体ではなく、肉体の中に閉じこめられている魂です。私が「肉体」と言う幕屋(Tent) の中に住んでいるという話は、私たちに何かを示唆しています。私たちがキャンプに行くとか野営する時幕屋(テント)で何日間か過ごしませんか。言い替えれば、幕屋での生は、臨時的に過ごす生活です。同じく幕屋に比喩された肉体の中での生は、しばらく住む家に過ぎません。
私たちが表の人である肉体のために生きたら、彼は家のために生きる人でしょう。人は家ではない私自身のために生きるのではないでしょうか。
私たちが信仰生活をする中にもとも、すれば肉身の生にもっとかたよる時があります。もちろん私たちが肉身を着ている以上、肉身の生を否定することはできません。しかししばらくあってから消える幕屋のみのために暮したらどれだけ虚しい行為ですか。
たとえ今は罪によって幕屋の中に住んでいてもキリストの過越祭の功労によって救い、すなわち罪の赦しを受けるようになれば神様が準備しておいた永遠な家が待っています。生の比重をどこに置いて生きて行くか答は明確だと考えられます。
二コリ 4:18 『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。』

1 件のコメント:

  1. 私も幼い時から魂に対していろいろと考えて見たが本当に私の魂の故郷が天国でありましょうか, あまり心がときめきます。

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