神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

2010年7月5日月曜日

安息日 神樣の敎会世界福音宣教協会 安商洪樣 母なる神樣 天の母

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神樣の敎会世界福音宣教協会

たちは天の父安商洪樣と天の母を信じる神様の教会です。
神様の教会は靈(安商洪樣)と花嫁(天の母)を信じます。
神様の教会は創造主安商洪樣と母なる神様が一緒になさいます
安息日 神樣の敎會 安商洪樣 母なる神樣 天の母

安息日を守ったキリストと使徒たち

旧約は新約に対する影と写しでした。旧約に律法に付いて守ったすべての内容は新約時代に成り立つことに対する模型でした(ヘブ10:1)。だから安息日も旧約聖書には「わたしの安息日」(出 31:13、エゼ20:12) と言い、新約ではキリストが「安息日の主なのである。」(マタ 12:8、ルカ 6:5)でした。
言い換えれば、旧約時代に律法に付いて守った安息日は模型で、新約時代にはキリストが安息日を守られた手本に従って使徒たちも霊とまことによって安息日を守り、キリストの中で守った新しい契約である安息日は実体になったという御言葉です。それでキリストは御自分の掟どおり安息日を守りました。
ルカ 4:16『イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお 立ちになった。…』
新約時代に入って 安息日の主人はキリストとして、「キリスト(主)の日」という意味が追加されました。「人の子は安息日の主なのである」 (マタ12:8、ルカ6:5) 使徒たちはこの安息日を「主 (キリスト)の日」として守りました。
黙1:10『ある主の日のこと、わたしは “霊゛に満たされていたが…』
旧約時代から新約に代わって安息日を守る方法が変更されたことであり(焼き尽くす献げ物をささげ、家で火もくべなかった律法的安息日から、仕事を休んで神様を賛美して祈る霊と真理をもって礼拝をささげる)安息日を守る日が変更されたのではありませんでした。なぜなら、神様が天地万物を創造して安息なさった日は七番目の日だったからです。それで使徒たちも安息日になれば規例どおり安息日を守って御言葉を講論したりしました。
使17:2 『パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い…』
使20:6∼7 『わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと…週の 初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると』
ここで「週の初めの日」という言葉は「安息日を守ってから翌日の初日」という言葉として使徒たちが安息日を守ったということを現わしている御言葉です。
キリストの日である安息日(七番目の日である土曜日)が使徒時代まで遵守(遵守)されたことが聖書の記録を通じて立証されていますが、今日多くのクリスチャンはどうして安息日に礼拝をささげず第一日目の日曜日に礼拝をささげているのでしょうか。歴史的な考証によれば日曜日の礼拝は異教徒たちの太陽崇拝から由来したと言います。キリストが生まれる以前からロ-マでは第一日目 (日曜日)を太陽の日(Sunday)として崇拝していました。
安息日が日曜日に変更される
使徒たちが世を去ってキリスト教がロ-マを含めた西側地域に伝えられた時、教会は太陽崇拝者たちと接触するようになり結局 4世紀初めには太陽崇拝者の頭であるロ-マの皇帝がキリスト教に改宗して、幾多の太陽崇拝者が教会に押し寄せて来ました。時間が経つほどキリスト教の精神は色あせて、太陽崇拝者たちの意見をたくさん受け入れ始めました。このような過程の中で流入されて来たのが第一日目(日曜日)に礼拝をささげて休む制度です。 ロ-マのコンスタンティン皇帝は A.D.321年に次のような勅令を頒布しました。
すべての裁判官と市民そして技術者たちは尊厳な太陽の日に休まなければならない」
安息日の廃止が表面的には多くの改宗者を誘導するための政策とは言うがその裏面には神様に敵対するサタンのわながあったことも忘れてはいけません。 サタンはさまざまな方法を動員して神様の民を苦しめて来ました。
大々的な逼迫を加えてキリスト教聖徒たちを試すなど神様の教会を破壊しようとしたが、神様の民は困難にあえばあうほどもっと神様に頼りました。しかしサタンが方法を変えて教会を高めて「一緒に信仰しよう!」と誘惑した時は力なくひざまずいてしまいました。逼迫した時没収した財産を戻して聖職者たちは兵役免除恩恵を与え、甚だしくは教会に奴隷解放圏まで付与された時、教会はもう神様に背を向けていました。 甘いアメに自分の胆嚢が踏み躪られているということを知らない愚鈍な熊のように。
神様は「神様の御心通りに行う者でこそ天国に入ることができる (マタ 7:21~23)」と確かにおっしゃいました。多くの人が守る日曜日と神様が守りなさいと命じられた安息日(土曜日)の中、どの日に礼拝をささげると神様が喜びますか。言うまでもなく神様が命じられた安息日(土曜日)礼拝です。
神様が立てられた神様の教会
神様が立てられた「神様の教会」は決して人々が作った法に従わずただ神様の法に従います。何故ならば救いは天地万物を創造した神様の外には施すことができないからです。そして人の戒めを守る人々は救いに至ることができないとキリストがかつておっしゃったからです。
マル: 7:6∼9『イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、/むなしくわたしをあがめている。」あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。 』
キリストの教訓を中心にして使徒たちの敷地の上に建てられた神様の教会は最初から一つでした。現時点で私たちが確認することができる真理教会は、キリストが行って使徒たちが守った規例どおり行う教会だけです。
いくら多くの教人を確保していると言ってもキリストが行わなかった他の教理を持っていたら、それはキリストから始まった宗教と言えません。私たちがこの時代に創造主の記念日の安息日を守ることは旧約の律法に義解書ではなくキリストの行績と使徒たちの行績から始まった 新しい契約の掟です。
神様が審判を施す最後の日に救いを得る聖徒たちはただキリストの足跡に従う人々だけです。キリストの足跡の中のひとつである安息日、本当に大事な神様の掟であり戒めです。

1 件のコメント:

  1. このような内容が聖書にあるなんて本当に驚くべきです

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